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 最近色々と引き合いがあったので思ったのですが、ひょっとして、うちの師匠の松葉國正の刀が欲しい方って結構いらっしゃいますか?
 このブログを読んでいる方で、もしも松葉刀匠の刀が欲しいという方がいらっしゃる場合には、一般市場で買う前に、私までお声がけください。
 知り合い待遇で色々と何とかして貰うことも可能かもしれませんので。。。

 特に武道家の方は、まっとうな真剣を必要とされている方も多いと思います。
 松葉は、刀匠として会長賞を2回(特賞は多数)取っている上、師匠本人も合気道の達人ですので、いわゆる手抜きの刀を居合刀と呼ぶのではない、本物の武用向き刀(=供武刀)を作っています。
 私自身も松葉の刀をメインに使っているのですが、この刀を使うだけで、段位が上に見えると言われるほどのバランスと美しさです。
 宣伝、というわけではないのですが、かなり最近引き合いが多いので、一応書いて置きます。
2011-09-18_23:57-teduka-C(0)::iai

日記概略

居合用の鍔

 紀元節を期に、居合用の鍔を一つお迎えしました。


 田中正則、江戸、と銘があります。
 鉄地や出来から見て、幕末の作と思われますので、田中清寿の門弟でしょうか?(あるいはそう見せる偽銘?)
 非常に小柄な鍔で、元々は脇差についていたか、あるいは幕末ですので初めから居合流派用の為に作ったものかと思われます。
 小さいながらも分厚く重みのある実戦的な作りで、敵の刀を受け流しやすく丸みを帯びた形です。
 長年の使用でだいぶ傷んでいますが、水面を深彫りの細線で表現した鍔地に、映る雲間の三日月を切り抜きで意匠した様子などは極めて斬新で、元は相当に良い鍔だったことが伺えます。
 すでに表面があちこち朽ちて美術的価値はありませんが、実用品として愛用しようと思います。


PS
 ちなみに、この鍔、飲み代より安いくらい格安でした(^^;
 刀剣はたやはいつ行っても素晴らしい、武道家の味方のお店です。
2011-02-12_00:30-teduka-C(0)::iai

日記概略

一生の刀、到着

 ついに、数年がかりで計画していた、一生ものの刀を手に入れました。
 松葉國正刀匠作供武刀です。


 2尺3寸5分、三条宗近写し風、古鉄入り。今年の薫山賞と同時期に打って頂いた刀です。
 私があまりにおおざっぱな刀の振りをする為、あえて繊細な作りにしてもらっています。
 単なる依頼刀というだけでなく、お手本となる刀でもある為、細々色々特殊な作りの刀となっています。


 樋もなく、実際にはやや重い刀なのですが、バランスが優れているため非常に軽く感じる刀です。
 柄巻きは皮ですが、実戦向きの片手巻き変形の特殊な巻き方をして貰って居ます。


 銘は、ちょっと変わった為銘(ためめい)で。
 松葉刀匠は武道のみならず鍛冶の師匠でもあるので、門人である私向けに特別に打った刀、という意味です。

 これで一生の刀を手に入れたわけですが、さすがにあまり本数を持っていても面倒を見きれないので、手元の刀を何口か手放さないと行けません。
 実は日本刀はそんなに高くはないので費用面はさほど問題ないのですが、実際に振る居合刀はどうしても錆びやすい為、あまり本数があるとメンテナンスが手間なんです。単なる眺めるだけの美術刀なら何本あっても良いのですが、眺めるだけの刀を買う趣味もないもので(^^;

 それにしても、自分の為だけに生まれてきた刀を手にするのは、なんとも嬉しいものですね。
 大事に使い、子々孫々代々伝えていこうと思っています。

参考)松葉國正鍛刀場 http://www.matsubakunimasa.jp/
2010-08-23_13:43-teduka-C(4)::iai

 師にお話を伺っていて「我々が目指すべきは、既に刀が用をなさなくなっていた江戸新刀新々刀ではなく、兵農分離前の鎌倉、混沌としたエネルギーに満ちあふれた時代の刀である。それこそが日本人の原点である」と言うお話を伺った。
 まさに。さすがは師と決めた刀匠と心を打たれた。
 狩猟刀や山刀として刀剣の断片が村々に残っている事でもわかるとおり、本来刀とは、日本人庶民の生活に密着したものであった。それを日本人から奪っていく過程こそが、安土桃山、江戸、明治維新、太平洋戦争であった。
 江戸期に出来た様々な作法は、朝鮮半島・大陸での秀吉の大敗北に端を発する世界からのひきこもりにすぎず、航海技術の発達での国際化で盛り上がる世界からの、現実逃避の手法に過ぎなかった。本来の日本文化は、その前、信長以前に求められるべきなのだ。

 しかしながら、現在、かけら程度でも残っている文化は、江戸時代のものが精一杯で、後は多くが失われてしまっている。作刀法しかり、刀操法しかり、そもそもの人と人との接し方しかり。
 それを少しでも取り戻さなければならない。
 それこそが、他国の隷属に甘んじてしまっている現在の我が国が自意識を取り戻すための唯一の道ではないかと、そう、強く思う。
2010-07-24_21:47-teduka-C(0)::iai

 いよいよフランスも最終日。
 思いっきり遊びました。

 まずは、ルーブル美術館!


 お気に入りは、なんと言ってもNikeの女神。


 さらに、ミロのビーナス。


 日本の美術館と事なり、ルーブルではほぼ全ての作品が写真撮影可、さらには許可さえ得れば大抵の画材を持ち込んで、その場での模写も可能です。
 天下りを食わせるために存在している日本の単なる客寄せ施設とは事なり、パリの美術館は、国家の美の中枢を担う重要施設なんですよね。
2010-07-12_04:59-teduka-C(0)::iai

 フランスと言えば、やはり、モンサンミシェル!
 というわけで、武道家一同で行って参りましたとも!


 美しい場所だらけのモンサンミシェルでしたが、やはり感動したのは、最上階の空中庭園でしたね。


 海の中の孤島、しかも高い塔の上ということもあり、モンサンミシェルでは、様々なからくりがあり、これも見所でした。
 自然の美しさと、人の英知の組み合わせのすばらしさは、他にないものでしょうね。
2010-07-12_04:34-teduka-C(0)::iai

 そして、演武会当日。

 ここでは、私が持って行った模擬刀が重すぎて、イマイチの性能……武道用語で言うところの「氣が乗らない」刀だったんです。
 そのため、演武もイマイチで、正直なところダメダメでした。
 せっかく見に来てくれたフランスの友人(美女!)にも、格好悪いところを見せてしまいました。



 演武会自体は大成功だったのがなによりです。
 最後には、フランスの観客たちも参加しての、ちょっとした居合教室もありました。
 友人も、これには大喜びでした。


 その後は、わざわざパリまで車でやってきていたケルン支部の仲間たちと食事に繰り出し、C師範のお話などを伺いつつ、楽しい一日と成りました。
 いやあ、パリに来てよかった。
2010-07-12_04:23-teduka-C(0)::iai

 さて、ここのところブログの更新が滞っていたと思いますが、実は、あちこち飛び回っておりました(^^;
 その中でも目立つところで、フランスはパリまで、居合の演武に行ってきておりました。
 私には珍しく、仕事があまり絡まない旅行なので、実に楽しいものでした。

 ただし、このフランス行き実はカメラ(Canon EOS Kiss X4)が故障してしまい、前半の写真がありません(^^;
 見事にデータカードを壊してくれました。
 カタログスペックは高いのですが、海外利用でのトラブル発生率が今のところ100%というのは困ったカメラです。

 まず、フランスで行ったのが、市内観光。
 実は今回の旅では私の所属する居合流派の達人、C師範と御同室だったので、観光もご同行と相成り、緊張しまくりでした。
 市内観光はあちこち回りましたが、まず記憶に残っていたのが、ナポレオン1世の眠る戦争博物館。
 ここでは、古代〜中世の西洋刀剣も展示してあり、なかなか興味深いものでした。

 ここで驚かされたのが、実は、西洋刀剣も中世前期まではちゃんと折り返し鍛錬をしていた、という事。西洋刀剣から折り返し鍛錬の痕跡が消え、ただの鉄板切り抜きになるのは、銃の登場と、時を同じくしていました。
 メインウェポンが銃になり、剣にさほどの耐久性が求められなくなったために、1回斬るだけなら十分な鉄板切り抜きの剣に変わったのですね。
 そして、ナポレオン1世の棺を見学……

 こういう、遺体をゴージャスを飾るという文化は、なかなか日本人には理解しにくい部分ではあります(^^;
 そして、お洒落なカフェでサイダー(三ツ矢サイダーではなく、リンゴの果汁をアルコール発酵させた本物のサイダー)を飲みつつ、パリの街を眺めます。
 いやあ、パリに来てよかった。
2010-07-12_04:13-teduka-C(0)::iai

 刀を一口(ひとふり)家にお迎えしました。

 無銘古刀ですが、日刀保によって美濃千手院と極められているお刀です。
 研ぎ師であり、この刀をお譲りくださった武道の先生によれば、なんと、実際の研ぎ味では美濃千手院よりも古いのでは、とのこと。
 いずれにしても、鎌倉末期〜南北朝、室町初期のお刀であるようです。
 手元の一本と差し替えで、これまた格安で譲っていただきました(^^;




 それにしても、さすがにこれだけの長命なお刀を手にすると、緊張します。
 こんな文化遺産を居合で振ろうっていうんだから、我ながら物好きではありますね(^^;
2009-11-27_23:08-teduka-C(0)::iai

日記概略

名刀正宗

 優れた日本刀、と言うと、「正宗」という名が思いつくと思います。
 しかしこの正宗、なんとも怪しい存在で、正宗が居たとされる当時にはほとんど名が知られて居らず、安土桃山時代に秀吉とそのお抱え鑑定士である本阿弥家の推奨によって、急に有名になる刀匠なのです。
 しかも、作風も名の書き方もバラバラのものが、いずれも正真物として現代に伝わっています。
 これは、一説に依れば、豊臣秀吉と本阿弥家が結託して、戦国も終わり、足りなくなった所領の代わりに配布する為の方便として、優れた無銘刀に付けた名ではないかとも言われています。
 実際、この問題は何度も表に出てきており、一度など、明治期に宮内庁の御刀担当者が上記のことを主張して「正宗抹殺論」として大騒ぎになったこともありました。
 この「正宗抹殺論」を否定したとされる、正宗の幼名が出て来たという古文書も、実は明らかに江戸時代風の名前で家系に名が上がって居るなど怪しいところが多々あり、未だにこの疑惑は晴れていません。
(この辺は、名刀剣商刀剣杉田さんの解説に詳しい)


 ……しかし、というか、ですね。
 中国語を少しでも囓れば、そうかもなあとわかるんですよね(^^;
 実は、「正宗」とは、中国語で「本物」とか「正当の」という意味なんです。
 で、秀吉は朝鮮出兵から中国進出を行った中国通で、本阿弥もその際に文化財の接収などを手助けしたと言われています。
 もちろん二者とも、漢文(要するに当時の中国語)をすらすらと読み書きできる教養人であったことは言うまでもありません。その二者が「正宗」の意味をわからないはずもないわけで。
 そしてご存じの通り、秀吉の性格は多分に諧謔的であったとされています。
 武張って教養溢れた振りをしている名家の面々を相手に、下級武士出身でかつては無教養だった自分が、中国語で「本物」という名の偽刀を領地代わりに押しつけて回っていたと考えると、なんとも彼らしいのではないかと思えるのです。


 もっとも、秀吉が押しつけたとされる「正宗」の数々は、作風はあまりに異なるとはいえ、どれも極めて上出来の刀ですから、この辺の抜かりのなさ、一種のサービス精神も彼らしいな、と思えます。
 いずれにしても、現代に伝わる「正宗」の数々が名刀揃いであるのは間違いありません。
 いつかは、一度くらいは自らの手に持って、じっくりと眺めてみる機会を得たいものです。
2009-11-25_03:10-teduka-C(0)::iai

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