Magamon's Log 航海日誌 ホームページへ戻る


←8月
9月
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
10月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
11月
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
12月
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

2006年→

2005年10月

10/28(金) 20:38

 ちなみに、師匠のところのお店(ソルティウェイブさん)が転売したわけではないですからね!
 その点、誤解なきようお願いします。

 ソルティさんは、恐らく、業界で1,2を争うほど安くいい船を売る店ですので。
 まちがっても、あんなに高くは売りません(^^;


10/28(金) 03:22

 先月末に売った元うちのヨットが、回りまわってようやく一般に販売されている様子なのですが、いやはや。
 なんと、私が売った時よりも150万円以上高い値が付いて500万円弱で売られているようなのです。(しかもその値段でいて、結構な人気らしい)
 もちろん、日本国内の旧タイプYamaha-31EXとしては最高値。
 写真で見る限り、元”まがもん”は丁寧に磨き上げられ、いかにも高級そうな面をしていらっしゃいます。
 今高値で売れても、私のポケットには一円も入ってこないのですが、差額分損したと悔しいよりも、どこかうれしいような気がしてしまうのはヨットオーナー馬鹿も行き過ぎというものでしょうか(^^;

 しかし、あの船に500万近い値をつけるというのは、流石はプロ。
 そりゃ、私もメンテナンスには自信がありましたが、そこまでの値段はメンテナンスをした私自身だって付けられない(苦笑)
 ううん、なんというか、やはりその道のプロはすごいです。
 つくづく、こういうのは素人の立ち入れない領域ですねえ。
 私も、本職のCGの方で、こういうプロの稼ぎっぷりを見せられるようになればいっちょ前なんですがねえ(^^;

 あ、ちなみに私は、売ったことも売った値段もぜんぜん後悔してませんよ。販売速度の速さも含め、自分的にはきわめて妥当な金額で売ったつもりですので。
 ご商売の邪魔になるのでURLの転記などは避けますが、プロってすごいなと感心した一幕でした。


10/26(水) 09:59

 ようやく自宅にも光ファイバ通信を導入しました。
 とはいってもマンション向けのものなので、マンション内はメタル(しかも元線はマンション全体で共有)なのですが(^^;

 現在、速度は下り80M前後、上り25M前後。

 完全専用線(しかも終末まで光)の会社環境に比べると遅めですが、それでもなかなか快適です。

 映像の仕事は大量のデータを扱うため光必須なのですが、これで自宅でも仕事ができます。
 うれしい反面、ちょっと悲しい、カモ。


10/21(金) 11:41

 もともと過敏性大腸もちなのだが、今日は久々に朝から腹痛。。。
 今年に入ってからはストレスがぐっと減ったおかげか、ぜんぜんこういうことはなかったのに。。。締め切りが重なったせいだろうか。
 ううう。
 山ほど仕事たまってるけど、最低限済ませたら寝よう。。。


10/18(火) 11:33

 台風接近中です。
 ヨットを持っていないと、台風が近づいてきても気楽ですねえ。。。
 台風直前のあの異常な緊迫感がないんですよね。
 もうしばらくは、こういう緊張感のない生活も良いかもしれません。

 ちなみに、ミニトランザットクラス新造は、良い船が見当たらずに難航中です。
 ユーロ高(というか実際には円&ドル安)のため、費用対効果が悪すぎるのです。
 ううむ。

 リュンドメあたりのミニ中古艇を買って、腕だけでも磨こうかなあ。


10/8(土) 01:21

 妻の突然の記憶喪失から今日で一年が過ぎました。
 今でもあの日のことを思い返すと、心臓が凍りつくような、胸の苦しい思いがします。

 2004年10月8日。あの日は超大型の台風が接近していて、私は仕事を途中で放り出し、職場から直接マリーナに向かっていました。台風対策の増し舫いのためです。
 途中、9時ごろに仕事を終えた妻から増し舫いの手伝いの打診が入りましたが、すでに風も雨も強くなる中での増し舫い作業は大変危険なため、自宅に帰るようにと伝えました。
 今思えば、何であの時素直に『一人では死にそうだから助けに来てくれ』といえなかったのだろうと思います。
 そして午後10時、周囲の方々に助けられながらようやく増し舫いを終え、ずぶぬれの状態でキャビンに飛び込んで、家に電話をしました。私は台風対策のため、そのままマリーナに泊り込むつもりだったのです。

 妻は、電話に出ました。
 しかし、そのときにはすでに会話の内容がずれていたのです。
 まず、私が”まがもん”にいることを覚えていないのです。
 次いで、どうも会話をしながらも、どんどん会話の内容を忘れてゆくようなのです。
 さらには、一言『頭が、痛い。。。』。
 あの瞬間、全身から血の気が引いたのを覚えています。
 脳障害の典型症状以外の何者でもありません。
 新規記憶ができなくなっているということは、海馬かどこか、脳深部に異常があるということです。
 実はヨットマンにとっては頭部打撲はよくある怪我で、そのため、脳障害に付いても聞き及んでいたのです。(ブームパンチといって、帆下駄が頭に当たる事故が非常に多いのです。ヨットマンの死因では、水死の次くらいに人数が多い事故なのです)

 とりあえず船を飛び出し、マリーナの警備員さんにタクシーを呼んでもらい、その間、私は救急隊に電話をしました。
 しかし、119番では『妻の様子がおかしい』と言う他は無く、現場に到着した消防隊(私の住む地域では、救急隊が出張っている場合には、消防隊が来るらしいのです)からは、『言っていることがおかしい以外は、特に異常は無い』という折り返しの電話がかかってきてしまいました。挙句の果てに、妻をそのまま置いて署に帰ると言い出すではないですか。異常者の相手はしていられないといわんばかりです。
 しかし、1時間前に正常だった妻が、突然に異常な発言を繰り返している理由は、脳障害くらいしか思いつきません。とにかく消防隊に救急隊を呼んでもらうように話をつけ、タクシーで家路に着きました。

 家に帰ると、ちょうど消防車が帰るところでした。そして家の前には、救急車が陣取っています。
 この時点で、二度目の寒気が私を襲いました。
 脳障害の場合、医師の許可の無い移動は死にいたる危険性を高めるため、絶対に禁物なのです。
 最初に119番をしてから、すでに50分以上が経過していました。そんなにも長い間消防車がここにいる理由はたった二つ市か考えられませんでした。一つ目が、救急車の到着そのものが遅れた可能性。もう一つが、脳障害で動くに動けない場合です。いずれにせよ、ひどい事態なのだという認識はそのときにできました。

 救急隊員の方と話すと、事態が明確になってきました。
 後頭部に大きな打撲跡があること。
 そして、言っていることがおかしいこと。
 さらに、この時間に当直している脳外科医が、この近くにはいないこと。

 いずれにしても、事態は絶望的でした。
 救急車の中で、妻は、財布とバックを抱きしめ、たった5秒間しか持たない記憶の中、必死に誰かにバックを取られるまいと戦っていました。
 ただ、逆に言えば、5秒間しか記憶が持たない以外は、妻はまったくの正常だったのです。意識も感情も判断力も正常なのに、記憶だけがどんどんと零れ落ちてゆく。その恐怖は堪らないものなのでしょう。妻は完全に怯えきっていました。
 この時から、私の戦いが始まりました。
 それは、5秒間の間に現状を伝え、妻を励まし続けるという戦いです。
 何百回も同じことを話し続ける、地味な戦いです。

 その後、10分も待った頃、ようやくM病院に当直医が見つかり、急ぎ搬送されました。
 そこで救急処置室へと通され、そこで下された診断は『脳挫傷の疑い』『逆行性健忘』というものでした。
 しかも、記憶能力が戻るかどうかはわからない、とのことでした。
 頭の中の損傷程度にもよるが、4〜8時間で記憶ができるようになれば、傷の程度は軽く回復の見込みが高く、8時間を過ぎた場合には、統計上重篤なケースに類するとのことでした。
 とりあえず妻がCT検査を受けている間に関係各所に連絡をし、妻の会社の方も、妻の両親も駆けつけてくださいました。

 妻の記憶能力の回復開始は、事件推定時刻から10時間後。
 統計的には危険な領域でした。
 ただ、CTやMRIの結果は大きな傷は見当たらないため、脳挫傷といっても非常に軽度か、強度の脳震盪の境目くらいの状態だろう、とのことでした。


 翌日9日昼前には妻も生命に関わる事態を脱しましたが、事件当日はおろか、2004年の夏前からの記憶がごっそりと抜け落ちており、バラバラになった記憶を取り戻すのは、本当に大変な作業でした。いちいち私と妻とで日付を確認し、記憶を確認する、地味な作業が入院中続きました。


 妻の記憶の回復で鍵になったのは、私たちの船”まがもん”でした。
 妻は他の記憶はあいまいでも”まがもん”の記憶だけは比較的しっかりとしていたのです。
 そこで、入院中は、ただひたすらに、一日中船の思い出を語りながら、記憶をつなぎ合わせる作業をしていました。
 また、なるべく事件前と環境を変えないことが求められるため、妻の会社にも無理を言い、妻の体力が回復し次第、妻の仕事を続けさせてもらう話をしました。幸い、妻は頭脳労働者で、仕事に使う部分の記憶や判断力にはまったく傷を受けていなかったので、医者の許可もすぐに取れました。
 しかし、そうはいっても、肝心のお客さんや同僚と会話する能力(記憶力)が弱っているわけですから、記憶力が元通りに戻る1ヶ月くらいの間は、メモだけに頼る、大変な日々を送っていたようです。


 そんな日々から、すでに一年。
 恐れられていた後遺症も、今のところは出ていません。
 脳波もようやく正常。
 あとは、後遺症の兆候に気をつけながら、定期的に検査を受けるだけ、という状態にまで回復しています。

 そして今、この日に私たちの生活があることを、本当に感謝しています。


10/5(水) 16:17

 ここのところ絶好調のAutodesk社が、ついに、3DCGにも本格的に力を注ぎ始めたようです。
 Autodesk社はCAD業界のディファクトスタンダードソフトAutoCADの開発販売や、放送業界機器の多くを製造販売していることで有名ですが、実は、私も愛用している3ds maxの開発販売によって、3DCG制作ソフト業界でもナンバーワンの地位を築いてきました。
 今回買収されたAlias社は、MAYAというソフトウェアでかつてmaxと張り合ったライバル企業です。MAYAはここ数年こそ販売数は落ち目でしたが、かつては一世を風靡したメジャーソフトウェアです。また、MAYAは、ここ一年間は映画などで大量導入されるなど、盛り返していたところでした。ただ、多角的にソフトウェアや環境を売るAutodesk社には体力的には到底及ばず、世界的なCG不況の中、これからどのように対抗してゆくのかが注目されていたところでした。

 さて。私の個人的意見です。
 ユーザーとしては、ソフトウェア環境が2つ程度に集約されてゆくことには強く賛成です。とくに、Alias社はカナダのソフトウェア会社であり、フランス語圏であるケベック州に籍を置く会社です。3ds maxの欠点として、どうしてもハリウッド偏重で、ゲーム機能実装が他ソフトよりも遅れたことからもわかるとおり、ハリウッド映画で使われる機能が他の映画産業地や他ジャンルでの機能よりも後回しになってしまう感が否めませんでした。しかし今回の合併で相当の開発部隊の人数割合の変更が発生し、ハリウッド映画以外の方面にも強い開発力を持つことが予想されます。
 また、小規模開発会社が多い日本の3DCGシーンにおいては、ソフトウェアの統合は、直接的にコストダウンに結びつきます。
 特に、スクリプト機能が強力でゲームやVRに強いMAYAと、すばやい制作力で映画やアニメに強いmaxの統合は夢のような話であり、近い将来の両ソフトの統合は、歓迎すべき事態といえます。
 もちろん業界が一社寡占状態になってしまえば、さまざまな悪影響も考えられますが、幸いにして、3DCGソフトウェアsoftimageで有名なAVID社がAutodesk社と似た業態で大きな力を誇っています。当面は、maxとsoftimageの2本のソフトウェアの戦いが、われわれユーザーに利益をもたらすことでしょう。


10/4(火) 09:21

 先日もやられたのですが、また、やられました。
 うちのジンに、私のご飯を食われちゃいました。。。

 前回は小松菜のおひたし、そして今回は菜の花のおひたし。
 なぜか、おひたしだけを狙う不思議な犬です。

 それはともかく、おかげで今朝は朝食なし。(ほかの皿も毛まみれになったため)
 すきっ腹を抱えたまま職場に来たけど、どうしたものだろう。。。


PerlDiary S Ver.1.02